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石巻・仙台

10月に入って広島もすっかり涼しくなり
ポンも毎晩、私の布団にもぐってくるようになりました。
あと抱っこ催促するしね。夏は見向きもしなかったのに。

薬のおかげで、結石や少し出かかっていた咳も治まりました。
薬をまたストップさせて、次は尿石予防のサプリを処方して
もらってます。クランベリーの味がするらしくて
砕かなくてもちゃんと食べてくれるからありがたい。



先週末は四十九日で石巻行ってきました。
納骨も無事に終わり父も石巻に還れたし、とりあえず一段落。

石巻に残ったのは両親のお墓だけなので
ひょっとしたらもう命日以外、来ることはなくなるのかもな・・と。
帰り、三陸道に乗るとき少し複雑な思いがしました。



石巻、4月以来、2度目でした。

うちの実家があった辺りも、建物の箱だけが残ったコンビニやスーパー、
ファミレス・・ほかにも壊れたままの建物がほとんどで
営業してる店もなく、通りを歩いてる人もいなかった。

親がふたりとも居なくなって、実家もなくなってしまったせいなのか
なんか、自分の根っこがなくなったような不思議な感じがする。

でも兄弟みんな、それぞれの場所でがんばろうねって
弟たちと話して別れてきました。

          ☆


今回は帰りだけ、仙台空港から飛びました。
数年ぶりの仙台空港、今月に入って全面復旧したばかりだそうで。

電車からの海岸の光景、復旧までの様子を収めた空港内のパネル展、
そして空からの海岸線の様子・・ちゃんとみました。

石巻にも仙台にも、私なりにずっと、ちゃんと向き合っていこうと思います。

セキジョ♪

今朝の中国新聞・・
地方版のページに目が釘付けになりました。
見出しは「石巻の吹奏楽仲間支援」。


島根の益田高校の生徒さんたちが石巻の好文館高校の吹奏楽部を
支援するための募金をされているという記事。
好文館高校の吹奏楽部は備品の楽器がすべて水没してしまったそうで
同じく創立100周年だという益田高校のみなさんが支援に立ち上がったという内容。



好文館高校・・私の母校です。
当時は石巻女子高校といいました。

私が入学したころ、石女には吹奏楽部はなくて
同好会がひっそりと数人で活動してるだけだった。

でも私の同期には当時、強豪校だった石巻中や山下中の出身者がたくさん居て
入学してすぐ、高校生活、ブラスがなくて生きていけるか!!なんて勢いで
部に昇格させるための署名運動を必死にやったり
外部からトレーナーを呼んで公的な大会に初めて参加したりと、
ものすごくパワフルに活動した。
いい結果もたくさん残した。

この同好会が「吹奏楽」に昇格したのは確か、私が卒業した年だったと思う。
後輩から部に昇格したことを聞いて、
あぁ、私たちの努力が実ったんだ、と思ったのを今でも覚えています。



今朝の益田高校の生徒さんたちの記事を読んだ途端・・
なんかものすごい勢いで思い出が頭の中を駆け巡り、
たまらない気持ちになった。
(西日本にいて石女のことが話題になるだけでもキセキだし。)

直接、助けになることなんて私にはなんにも出来ないけどね・・。



でも石女の女性はcleverで強いから、絶対に負けない!


そう信じて、また前に進むことを、いい音を奏でられるようになることを、
遠くから祈っています。

安住の地

この連休中、嬉しいことがありました。

石巻の父の部屋に仮住まいされてたご家族の
仮設住宅への入居が決まったのです。

まだまだ仮設の建設が追いつかない中で、
本来の当選者のキャンセルによって得た住まいとのことでした。

父の部屋・・・一時的な避難場所とはいえ、
見ず知らずの他人の部屋に居るのはきっと、落ち着かなかったと思う。



今回出逢ったこのご家族・・ご夫妻と息子さんの3人家族だったんだけど
ものすごく朗らかで、素敵な人たちで。
ご主人なんて、広島にちょっと縁があったりしてね。
もう少し、知り合っていたいような、そんな気持ちに駆られて
居なくなっちゃうのが少し淋しい気さえした。

息子さんも「せっかくのご縁ですから、今後もぜひお付き合いを・・・」
なんて言ってくださって。

嬉しいような淋しいような・・
でも安住の地が得られたことは、ほんとによかった。




けれど、切ない続きもあって・・。

実は、息子さんから無理を承知で、と相談を受けたんです。

自分達が出た後に、まだ避難所に居る知り合いを
住まわせてもらうわけにはいかないか、と。

でも津波で家を失くした方が多い現状・・
大家さんからも、部屋の空き待ち状態が続いていると聞かされていたので
私の一存ではどうにもできず、ただ謝るばかりでした・・。



yesと言いたかった。
できるならば、父の住んでいないあの部屋を
多くの人たちの避難所にしてあげたいくらい。


もどかしいね。。
けれどこれが現状なわけで。


早く、全ての人々が安住の地を得られる時が来ますように・・。

ボランティアの心

昨日、今日と立て続けに、
埼玉と横浜に住む友人からメールが入りました。

「石巻にボランティア行ってくるよ!
ゆみちゃんの代わりに頑張ってくるよ!」

かたや、
「今日は荒浜の作業、行ってくる。
石巻のボランティアは締め切られてしまってたけど
行けるようになったら必ず手伝いに行くよ。」


嬉しいメールでした。


純粋に現地のことだけを想って動き出す人たちが、たくさんいます。

           ☆

ボランティアさんや、あらゆる支援に携わる人々を見るたびに思います。


現地の人々の本当の心は、経験しなかった者にとっては
どうやっても解り得ない。

けれど、それでも全ての活動は、「現地の人の心、在りき」
ということを、私たちは絶対に忘れてはいけない。



今日、これを読んで改めて肝に命じました。

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いつか きっと

明日から広島ではフラワーフェスティバルが開催されます。
(広島きてから、ちゃんと行ってみたことないけど・・)

フラワーは今年で35回目。
がれきの中から復興を成し遂げた広島市民によって
生み出されたお祭りです。

原爆犠牲者を弔うハチロクの「静」の儀式とともに
平和賛歌の「動」の祭典を、という願いがこめられているそうです。


広島人は、更地のようになってしまった街を復興させた。
だから、広島の人たちが言う、
「必ず人々は立ち上がるから」
「街がよみがえる日は必ず来るから」
という言葉には、すごく真実味があるし、重みがあります。



あの地震のあと、広島の何人かの私の知り合いは
そう言って私を励ましてくれました。
それがすごく嬉しかった。


広島人のこの言葉が、東日本の人たちの心に届く時が
いつかきっと来ると思っています。


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お・・・

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新聞の広告欄なのに、思わず二度見。

・・というか、釘付け。



見た瞬間、ずしっときました。

石巻の人たちはみんな、こんな気持ちなのかもしれないな。

きのう

広島に戻りました。


ポンも病院から帰ってきましたよ。

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ずーっと病院に居たから、鼻がまた剥けてるかと心配してたけど
今回は大丈夫だったみたい。
でも、ケージに入れられたままだったせいなのか
後ろ足が固まりやすくなってて、最初はうまく歩けなかった。
少しマッサージしたら、やっとよたよたと前へ進めるようになったみたい。

少し遊んだあとは、安心しきってぐーぐー寝てた。

         ☆


4日間は強行スケジュールだったこともあって
あっという間でした。

ただ、その間に見たことや感じたことについては
あまりここで書こうとは思いません。


そのすべてを胸に留めて、私はここでちゃんと生きていこうと思います。